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デスノート映画後編 「the Last name 」を見てきました。
その感想などです。

デスノート映画後編 the Last name

原作:大場つぐみ、小畑健
監督:金子修介
脚本:大石哲也、金子修介
製作:日本テレビ放送網

キャスト
夜神月   :藤原竜也
L/竜崎   :松山ケンイチ
弥海砂   :戸田恵梨香
高田清美  :片瀬那奈
リューク  :中村獅童(声の出演、特別出演)
レム    :池畑慎之介(声の出演)
ワタリ   :藤村俊二
夜神総一郎 :鹿賀丈史
夜神粧裕  :満島ひかり

<<デスノート映画後編の始まり>>

アイドルのミサが、刃物を持ったADに襲われそうになっている
どうやらそのADはミサのファンらしく、ミサを殺して

自分も死ぬ気らしい
が、そのとき突然そのADが心臓マヒで死ぬ

そしてミサの前に黒いノートであるデスノートが落ちてくる
ミサがそのデスノートに手を触れる

すると、目の前に突然、恐ろしい姿をした死神レムが現れた。
死神レムを見たミサは、驚愕し恐れおののく

死神レムは、そんなミサに対して、デスノートについて説明し始める
デスノートの重要な点は以下の2点である

デスノートに名前を書かれた人物は死ぬということと、
書く人物の名前が頭に入っていないと殺せないということだ。

その頃、デスノートをすでに持ち、世界中の犯罪を犯した者達を
殺害していたライトは、

デスノートによって行われている殺人事件こと
通称”キラ事件”を捜査している名探偵のL(エル)によって、

キラ事件の捜査本部へと、呼ばれていた。
Lはすでにライトがキラ

(デスノートによって殺している人物はキラと呼ばれている)
ではないかと疑っており、ライトを呼び出したのは、

キラ事件のことでライトに協力を依頼することと、
ライトがキラではないかと直接尋問して確かめるためだ。

Lはライトに対して、ライトがキラであるという前提に基づいて
いくつものの鋭い質問をぶつけてくる

しかしライトは、それらのLの鋭い質問に対して
全く動じずに、キラであるということの尻尾を

まるで出さないで華麗に答えてくる
そんなときだった

キラ事件の捜査本部にいるLやライト達の前に
突然、テレビで第二のキラと称する人物が登場してきたのだ

第二のキラ登場で急展開を見せる
L対キラことライトの対決後編がここに始まる


<<デスノート映画後編感想>>

デスノート映画後編を見てきました
ずばり言いましょう

デスノートの原作漫画よりラストは最高で、
原作よりもシナリオがコンパクトに

まとめられており、無駄な冗長性を感じられるシナリオ要素がなく
最後までL対キラという構図のままで終了されており、

ラストは本当に感動させられました。(あくまで個人的な意見です)
正直、デスノート映画の方が原作の漫画よりもシナリオ構成的には

よくできているのではないかと私個人は勝手に思っております。
というのもデスノート自体、キラ対Lという構図が物語の始まりであり、

キラ対Lの対決がメインの物語でありながら、
デスノートの漫画では、途中でその構図が崩れた後も話が続き、

何だかいたずらに話を引き伸ばしているように感じてしまう
展開が途中から長々と続いてしまっていたからです。

キラ対Lの決着がつくときが、デスノートの物語の終わりである
ことが、やはりデスノートの最後にふさわしいと私個人は思います。

また、個人的にL派の私としては、
デスノート映画のLの方がとってもカッコよく

最後にとってもLらしい底力、執念を見せてくれたなぁと
しみじみと思い、映画版のLには感激させられました。

やはりLはこうでなければならないだろうと
思い、さすがはLだと本当に感激させられました。

L派の私としましては、このデスノート映画のラストに関して
全く不満はありませんし、本当に最高だと思っております。

Lのことばかり書いてしまいましたが、主人公であるライトについても
書かないとダメですね。

ライトは、前編で感じた”悪魔”のような恐ろしさに拍車がかかった
ような恐ろしさを後編でもモロに感じさせられました。

えぇ、もうライトはすでに人間の姿をした”悪魔”
と化していたように思います。

映画版のライトの方がより、恐ろしく悪魔のような人物と
なっているように思います。

というのも漫画版のライトは、
自分の理想とする犯罪のない世界を作るという目的のために

ある一定の基準に基づいてデスノートで犯罪者や
目的を妨害する人物や、障害となりうる人物などを

殺していたからです。
(まぁこれでも相当恐ろしい人物ではありますが・・・)

しかし、映画版のライトは・・・
ライトの理想やら正義やらはどこにいったのやら?

と思わせるぐらい、やることが悪魔のように恐ろしい・・・
デスノート映画の最後なんて

「えっ?ライト、誰の名前をデスノートに書いてるの?」
とリアルに思いましたよ。

とてもそこに理想やら正義なんてものは感じられず、
ただの”悪”だとしか感じられませんでした。

デスノートの原作漫画では、
一応L対キラの構図は、同時に

Lの掲げる正義とキラの掲げる正義という
お互いに我こそが正義であると言い、

正義と正義との戦いの構図でもあるのです。
キラ=悪 L=正義 などという

単純極まる構図なのではなく、Lとキラことライトの
お互いの主張ともに、ある程度の説得力がある”正義”

がそこには存在するのです。
したがって、ライトはライトなりの正義に基づいて

デスノートで人を殺しているので、
漫画の中の大衆からも、おそらく読者からもある程度

理解されていると思うのです。
が、デスノート映画のライトの行動は、

作中の人物からも疑問を投げかけられるぐらいで
私もはなはだ疑問を感じざるえませんでした。

そこに正義があるとは思えませんでした。
映画版と原作漫画のデスノートとを主観的に比較すると

L  :
映画の方がラストがとってもカッコよく、よかった
漫画では、とっても実に無念の最後だった・・・

ライト:
映画では”正義”感が薄らいでおり恐ろしく悪魔的
漫画でのライトは、ライトはライトなりの正義を掲げて
一定の行動基準に基づいて行動していた(と思う)

シナリオ:
映画の方のシナリオは、L対キラの構図を終始一貫しており、
冗長性がなく全体の話の構成が良いように思う
とりわけ最後は映画の方が最高だった
ただし映画では正義対正義ではなく悪(キラ)対正義(L)
に感じられ、ライトの正義はあまり感じられなかった。

漫画の方のシナリオは、L対キラの構図が途中で崩れ、
いたずらに話を引き伸ばしているように感じられた。
しかし最後までキラことライトは、自分なりの正義を貫いており
構図としては、一方の主張する正義対もう一方の主張する正義
との戦いの構図であった。

デスノートの漫画と映画のどちらの方が良いと感じるかは、
人それぞれだと思いますが、

私は、前編の映画と漫画を比較すると、
漫画の方がわかりやすく面白いかなと思いましたが、

後編の映画と漫画とを比較すると、
映画の方がとりわけラストの部分が感動もので、

映画のラストの方が漫画のラストよりも断然よかったです。
まぁたぶんに私がL派だ

ということが影響しているためだと
思いますが・・・

 デスノート映画後編の最後
 は、本当に感動させられるのでぜひご覧くださいませ
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